地元愛。

親愛なるあなたへ

本日大阪に来て13周年を迎えました。

毎年この日になると「我が地元」に感謝の念でいっぱいになります。

ありがとうございます。

初めて大阪に来たときに「苦手だな」と思っていた当時が懐かしいですね(笑)

生粋な地元愛ではないかもしれませんが、毎年この日が来るたびに深い感慨に浸る記念日的な存在でありとても大切にしています。

自分を変えることができたのは大阪の文化に育てられた部分が半分以上確実にあり、いろんな反面教師もありますけれども、それでも「自由」「自分らしさ」という当時の私に最も必要なものを提供してくださった、そんな土地だと思います。

よく、大阪は他県から「大阪民国(だいはんみんこく)」「パスポートがなくても入れる国」と言われることもありますが、結構これは的を射ていると思っていて、色んな土地を渡り歩いてきた自身からすれば、もちろんその土地その土地の違いはありますけれどもトータルで言えば「頭一つ飛び出して特別な土地」だと思います。

「特別な土地」。

そして「今の日本になくてはならない土地」です。

とにかく自由で自分らしい。

ステータスというのを表に出さない。

いかに「丸裸の自分ひとり」としての存在を表現できるか。

これを徹底できる場所は海外に行かない限りなかなかないように思います。

自分を出すことができれば大阪は住みやすい。

ですからよく言うのは自由の国・アメリカに似ていると思っていて(行ったことはありませんが・・・)、インバウンドやバックパッカーの人々が東京よりも大阪を挙げるのはそういう部分もあると思います。

東京のようにお互いに監視の目があって理路整然としている魅力とは違った不思議な包容力が大阪にはあります。

とくになんば、新今宮とか、理路整然感と離れるほどそのような包容力があり、あの辺りは海外の人だらけですね。

非常にアメリカに近いと思います。

他県から「大阪はちょっと」というのはおそらく自分を全面に出すことをためらっている節があるのだと経験上思います。

もちろんそれが「我が強い」とか「けんかっ早い」とか「マナーが悪い」とか、そういう反面教師的に学んだ部分もなきにしもあらずですが、私は大阪という文化を、大げさではなくて周りを気にするという島国体質の日本を「対極で引っ張ってバランスをとる先導的な役割を担っている」と思っているのです。

このようになったのはきっと「商人の街」だけでは片付けられない複雑な歴史的経緯もありましょう。

常に元気かと言えば、元・橋下徹知事が改革を進める前はどん底に沈んでいた時期もありましょう。

ですが、この文化は、唯一無二のこの文化はこれからも受け継いでいかなければなりません。

いかに揶揄されても受け継いでいく価値のあるものです。

昨年末の住民投票大阪都構想が否決され、多くの人が「住所や名前が変わることに抵抗を感じる」というものでしたが、大阪の人が何故こんなにも地元を愛するのか、今日改めて分かったような気がしました。

p.s.

もちろん大阪も場所により差があります。

大阪ほど場所により差が激しい土地もここならではのものでしょう。

市区町村だけではなくて、各自治体の中でも、極端な話、道一本それると違うとか、駅のホーム変わると違うとか、そういうところもあります。

時間帯によっても違う。

やはり「個」というものを尊重するので、その分他の県よりも差の濃淡(いい悪いではなくてそれぞれの個性のようなもの)が細かいところまで明確になり、それが混ざり合って全体像を作り上げている影響によるものでしょう。

ですから、大阪ひとくくり、ではなくて、大まかにそういう傾向があるのだ、とお伝えさせていただければ幸いです。

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