怒られる段階。

親愛なるあなたへ

「怒られなくなったら終わり」

この言葉は半分真実で、半分違うような気がすると最近思い直してきました。

飛び出した頃に「怒られるのは、成長している証」「怒られなくなったら、人間は終わり」と書きましたけれども、これには当時の感情に「前提」があってそれは、「おそらく自分はいい気になっているだろうな」と。

メチャクチャすごいところ、というわけではありませんが、高校は進学校に所属し知られた大学・大学院にも進み、かつ大手の製薬企業に在籍していた、というところから「おそらく自分はいい気になっているだろうな」と。

大手企業で成果を上げてきたサラリーマンが同じ感覚で独立しようとすると必ず失敗する、というのを本で読んだからなのか潜在意識で分かっていたのか定かではありませんけれども、とにかく全てを捨てて飛び出したときに「一旦自分をぶっ壊そう」という前提があったからなのですね。

おかげさまでイチから出直した成果で視野を広げることができたのですが、これが「ずっと怒られっぱなしだと死んでしまうな」とも思います(笑)

怒られるというのは段階があって、内省・内観というのがおろそかになるから「外からの矯正」という意味で用いるのが適切な手段であろうと。

特に日々の仕事や生活に忙殺されて省みる時間がないと、これは必然的について回る現象なのかもしれません。

自分で自分を見られるようになれば、もはやその段階は必要なくなると、こう結論づけられる。

神との対話・・・などという怪しい言葉をここで用いてしまうのですけれども、もしも自分自身を天を通して見ることが可能なのであれば、それは完全にストレスフリーな成長方法であって、近頃はこちらの方がいいなぁと思う次第なのですね。

by You