遠い魂の記憶。

親愛なるあなたへ

神戸にあります、阪神・淡路大震災のメモリアル施設「人と防災未来センター」へ行ってきました。

今年で開設20周年を迎えられたそうで、偶然その節目の年にお世話になることができたのも何かのつながりであるように思います。

資料館として、そして現代技術を駆使した展示室として整然と整備されてはいましたが、「当時の記憶がそのまま閉じ込められた」そんな空間でした。

まず西館最上階の4Fに案内され、ここでは震災の様子をホール内の特殊な技術で映像化。

さらにその後、震災直後の街の様子を再現した通路を通る。

嫌な音楽が流れているわけではないのですが、小さなお子さんが「怖い」と言って入りたがりませんでした。

気持ちはすごくよく分かって「学び」のためとはいえこれは刺激が強すぎるのではないでしょうか・・・・なのでここに小さいお子様を連れてくることは賛否両論ありそうです・・。

それくらいリアルに語りかけてきます。

映像では建物や鉄道、高速道路が玩具のように崩れてひん曲がり、街の様子を再現した通路では大人の私でさえも「お化け屋敷」と見紛う過去の記憶を目の当たりにします。

そして3Fへ。

震災当時の「本物」の映像・写真・品物の数々。

多くの方はサーっと流して行かれましたが、私はそこに3時間くらい(特に震災直後の瓦礫と炎の街並み、野戦病院と化した医療体制、避難生活の実体のパートに)居続けてしまい4回か5回ほどグループが入れ替わってしまいました。

それくらい衝撃的なもの。

特に映像が、これは実際のフィルム(1995年当時デジタルカメラはまだ黎明期)を直接再生したものであるせいか、youtubeで見たものより色合いや輪郭がハッキリしておりその生々しい様子が遠慮という文字を知らないままこちらにぶつかってきます。

しかしそこには、いつぞやも書いた「人間は善なる生き物なのだなぁ」という、極限状況の中でも逆にこちらが元気をもらう場面が多々あるのですね。

1月という雪が舞い散る極寒の中、着の身着のままで学校の校庭で野宿するような有様であるのに、水や食料品の配布に抜け駆けする人もおらず、寒い中何時間待っても暴動も起きず、その中でお互い助け合いながら。

映像だと「ごく一部だけだから」ということもあるでしょうけれども、当時の様子を実際に見ていた記者の方が記事にされた新聞の切りぬきを拝見すると、「皆驚くほど冷静で抜け駆けする人もおらずそして・・・」と。

飛び出した直後、貧乏で食べるものに困った経験のある小生としてはとても他人事とは思えず、飽食の時代、何に困ることもない日常の夜明けに一気に環境が激変したときの被災された方々の心境はとても想像に耐えがたいものであります。

そういう「遠い魂の記憶」に触れる。

水もない、食料もない、暖房もない、トイレやお風呂の衛生もない、プライバシーもない、そして家族を失い天涯孤独の運命を乗り越える幼い魂も。

壮絶な、それでも自分とは関係ないと心のどこかで思ってしまう遠い魂の記憶に一度触れてみる。

すると、関係ないと思う我々の心理とはまた別に、その奥底にある何かしらの琴線に触れることもあるようで、個人差はあれど「まっとうに生きよう」「使命を果たそう」というエネルギーや「日々に感謝しよう」という穏やかさが湧いてくる不思議を体験する瞬間もあるのだと思います。

災害を忘れない、という遠い魂の記憶に触れてみる。

そんな場所へ機会があれば是非訪れてみてはいかがでしょう。

人と防災未来センター

p.s.

震災を知ることでその震災を経験した現住所のマンションともまた少し仲良くなれたような気がします。

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