コロナワクチンとラスト一幕。

親愛なるあなたへ

一昨日、コロナワクチンの3回目を接種してきました。

毎回接種する度に思うのですが、お医者さんはじめ医療関係者の方々には心から頭が下がる思いです。

今回の先生はお若かったのですが素晴らしい方で、過去2回の接種の様子を気にかけてくださり、そのことを言うと「すると今回も憂鬱ですね」という優しいお気遣いの言葉をかけてくださいました。

先生方はもうコロナと足かけ3年も戦っていらっしゃるにも関わらず、しかもものすごい人数を見ていらっしゃるにも関わらず、「飽きずに」(表現が適切でないかもしれませんが)お気遣いの言葉を。

同じ行為でも多少の変化があれば人間心に余裕も生まれるのですが、小生も経験があり、相手は違えどずっと同じ作業を繰り返していると流れ作業的で当たり前になってしまうため、なかなかそこまでの気遣いはできなくなってしまうのです。

本当にありがたいことです。

そこでも聞かれた通り、今回も2回目のとき同様に倦怠感や関節痛などの副反応が出るだろうと予想して、この週末は「完全防備」を。

洗濯やアイロンなど普段週末にすることは全て終わらせ、お参りや温泉・ジョギングなどの週のルーティンも終わらせ、買い物も動けなくなった時用にレトルト食品やゼリーなどを買い込み、と。

その結果、予想通り昨日の朝から今日の昼にかけてダウンしていたのですが(笑)、そのとき感じたのが「不思議な心地良さ」だったのですね。

私のケースでは接種後14、5時間で症状が出るようで、2回目もそうだったのですが夕方に接種して翌朝起きた後「何だ平気じゃん」と思った数時間後おもむろに「キタキターっ」となるという。

そのときに体はだるいし寒気や頭痛もするのですが、先の不思議な心地良さではないですが「ものすごい安心感」というか、そういうものだったのですね。

独り暮らしでかつ親しい人が近い距離にいるわけでもないのですが、それでも何かに守られているという安心感が。

その気持ちを分析してみた結果、「こうなるぞと予想してそれに準備している安心感だ」と、そのように思ったのですね。

今回は買い物や洗濯など物理的な行動でしたが、これが心理的な一面や人生でも応用できるとなると、私たちは死ぬ最後の一幕、「こうなるぞ」と分かって「やることをやった」「生きたいように生きた」と思えれば、そこに身体的な影響があるとしても、体の自由は利かなくても不思議な安心感に包まれるのではないかと、そんな風に思ったのですね。

私たちは誰もが死ぬことを知っていても、「最後はこうなるぞ」という実感が湧かないから「心の準備」をしない。

でもその準備が終えられれば安心感に包まれる。

自分へのありがたみを感じるというか、そういったものに近いと思います。

私も最後の一幕を実際に体験したことはないので本当のところは分からないのですけれども、何となくそう感じたのですね。

p.s.

どんな人でも、立場や年齢がどうであっても「今から始めればいい」と、そう思うんです。

by You