AIと個の楽しみ。

親愛なるあなたへ

AI技術を用いた芸術の作成。

これを「人が作った芸術」と呼んでいいのか、という議論があります。

ところが論点は実は全く違うところにあるのではないかと。

単純に、楽しみが減る。

クリエイターにとっては作る過程が楽しみそのもの。

結果とクオリティを追い求めればAIを使った方がはるかに効率よくハイレベルの作品が仕上がることは十分にあると思います。

なので芸術における経済活動の面、一経営者として自身の立ち位置からもそのアプローチは非常に価値があるでしょう。

なのでAIを使った創作活動を私は大いに認めます。

おそらく先の「人が作った芸術と呼んでいいのか」と議論する人々は、芸術を見ていない。

芸術を通した、相手を見ている。

その人間を知りたいと思っている。

自分にはない、何か相手の特別な努力と才能に共感したいと思っている。

コミュニケーションを人生の主とする我々人間にとってそれは最も大切な感性であります。

その意味ではAIを使った芸術には価値がない。

しかし、純粋に芸術そのものを見るならば。

AI技術により純粋に芸術への評価に焦点を当てる、そんな時代が到来したのだと思います。

個の時代ですね。

人は人、自分は自分、そして芸術は芸術。

そういう自由さ、多様性の時代。

もちろんAIだけの芸術はやはり人の感性が入らないからどこか空虚な感じを受けるだろうし、AI自体の乱用も先のクリエイターの楽しみとモチベーションを奪うことになるから、人の手を介してもクオリティは下がってしまうでしょう。

そのバランスを保ちながら。

作品の受賞に関しても、AIを使った作品が受賞すると批判が出る可能性があるのは世間が「ズルい」と思うからですね。

それも先に通ずる話。

受賞はあくまで作品に対し純粋に与えられるもので、その人が受賞しているように思うけど、実は作品そのものへのジャッジであると。

だからそのうちAIに賞が贈られる時代が来てもいいかもしれないですね。

そしたら人間が自身の尊厳を傷つけられたと思うのか(笑)クリエイターの皆さんが楽しみを含め、自らの脳をフル回転させてAIと競合し芸術の世界がより成熟していくでしょう。

AI重視の芸術の方向にこれからは向かうと思います。

しかし、先のバランスが取れるあくまで一過程。

世界が熟せばバランスが取れて、AIをどのようなポイントで扱ったかも技術点として一評価の基準となるかもしれない。

そうして創作の世界でも人間とAIが共栄していく。

そういうことなのだと思いますね。

by You