親愛なるあなたへ
過去も未来もなくあるのは常に今。
それが真実の一端ではありましょう。
しかし現実に歩んできた過程として「記憶としての過去」は誰にでもありましょう。
その使い方がきっと人それぞれなのだと思います。
一つの用法として、昔の自分を抱きしめる。
どこかで触れたかもしれないのですが、私はときどき「これまで書いてきた記事の製本を両腕いっぱいに抱えて抱きしめる」という怪しい行為をします。
すると無機的な物体にものすごい温もりを感じる。
人や動物を抱きしめているのと同じ感覚になる。
その対象が「記事を書いた自分」だから自分で自分を抱きしめていることになる。
過去の自分を抱きしめる。
過去と現在の自分は経験や体の構成上も明らかに違う人間だから、過去から色んなことを経験し、たとえそれが自身の本位にそぐわなかったとしてもその道を踏みしめ、葛藤を乗り越えあるいは同居しながら今ある自分が過去の何も知らない自分を抱きしめる。
そういう時間の使い方もあるのだと思いました。
by You