愛とは、「相手をひとり立ちさせてあげる」ということです。

親愛なるあなたへ

僕は、生まれてから大学院を卒業するまでの25年間、ずっと家から通っていました。

大学1年生のとき、北海道で全寮制の生活を送ってはいましたが、やることといえば自分の服の洗濯くらいなので、ご飯を含め、全てのことは学校がやってくれていたので、とても一人暮らしと呼べるものではありません。

僕は、ずっと一人暮らしを夢見ていました。

一人暮らしを親に提案したとき、「お金を出してあげられないから」と断られました。

しかし、一人暮らしができないのを、親のせいにしてはいけません。

一人暮らしを本気でしたいのであれば、死に物狂いでバイトをし、自分で稼ぐのが筋なのです。

当時、僕にその認識はありませんでした。

あまりにも、自分に甘かった。

親が、一人暮らしするよりもお金が助かるからと、車を買ってくれたにも関わらず、僕は親の稼ぎを言い訳に、家から通い続けました。

社会人になって、初めて一人暮らしと社会の風の二つを経験しました。

そのダブルパンチで、一度は木っ端微塵に砕け散りましたが、僕には、お金には変えられない人生でもっとも大切な体験となりました。

人が成長するためには、一度、全くの一人になることです。

それは、環境として自分の周りに人がいる、いないに関係ありません。

精神レベルの話です。

原住民族の中には「ネヤド」といって、半年なり1年なりの決まった期間、牢屋に閉じ込められるか、もしくは一人ジャングルに放り出される儀式があり、それを耐えぬいて初めて一人前と見なされる文化があることを知りました。

孤独を恐れてはいけません。

その先には、必ず、道が開けています。

これは、全ての人において通ずることです。

子供、親、学生、社会人、全てにおいてです。

注意しなければならないのは、親や社会人の方です。

経験も浅く、世の中の風に当たっていない子供や学生は精神的に成熟しておらず、自分は成熟しきったと思い込みがちなのです。

子供や学生が精神的に成熟していないのは、本人とその親、双方に責任があります。

精神的に成熟するためには、ひとり立ちすることです。

これは、子供に限った話ではなく、親にも当てはまることです。

親も、子離れすることです。

家族の中で、子供と親が、お互いにいつまでも精神的に成長し続けるためには、どちらかが気付かなければなりません。

親が放り出すか、子供が自分で出て行くしかないのです。

これは、決して「縁を切る」ということではありません。

相手を一人の人間として認める、ということです。

その人の生き方を尊重する、ということです。

親心とは、「愛」と「親権の乱用」の紙一重のところに存在します。

「愛する」とは、「守る」と「突き放す」を絶妙のバランスで伝えることなのです。

by You