親愛なるあなたへ
人は生まれた環境によって育ち方が違います。
そして、その育ち方が代々受け継がれていきます。
ほとんどの人は自分の考えは自分のものだと思っているんですけど、本当は代々受け継がれてきたものなんですよ。
それで、断ち切るという話があります。
何を断ち切るのかというと、因果を断ち切ります。
因果って何ですかっていうと、あなたが嫌だなと思ったことです。
子供の頃でも学生のときでも社会に出てからのことでも何でもいいです。
嫌だと思ったことは人にしないって美談がありますが、人間は嫌だと思ったことを人にしてしまう性質があるんです。
そういう性質だからどうしようもないんです。
まずこの性質に気がついていないのが不幸の始まりなんです。
大人が「自分がされて嫌なことは他の人にもするな」って言いますけど、本人は同じことをしてるのに気がついていないんですよ。
だから、自分の中で断ち切らなきゃいけないんです。
親が厳しかった、先生に裏切られた、上司にいじめられた。
人はこれで被害者意識を持つんです。
被害者意識を持ったまま成長すると、今度は必ず加害者になるんです。
同じことを子供や部下にやるんです。
自分は被害者だって顔して平気で加害者になるんです。
それで、それに気がつかないんですよ。
でも、そういうことをやってきた親や先生や上司もしょうがないんです。
同じことをそのまた親や先生や上司にされてきたんです。
それで気がつかなかっただけなんです。
だから、代々ずっと嫌なことが続いていくんですよ。
これはどこかで断ち切らなければなりません。
誰かが気づきさえすればいいんです。
それで、気づけたら断ち切ればいいんです。
因果を断ち切るには、「上が未熟だったんだ」って思うんです。
それで「自分には関係ない」って思うんです。
見下すんじゃないですよ。
「ああ、ただ気づいてないだけなんだ」って思うんです。
親や先生や上司は気がつかなくて気の毒だったな、でも自分は気づいたから関係ないってやるんです。
それで、これをやると必ず抵抗があるんです。
何でほとんどの人が断ち切れないかっていうと、断ち切ろうとすると必ず外圧と内圧がかかるんです。
自信を持とうとすると、外からは必ず潰しにかかるものなんです。
何故かくやしいんです。
見下された、裏切られたって思うんです。
それは嫌味とか悪口とか明らかな場合もあるけれど、お前のためだっていう「優しさ」で出してくるのが多いんです。
恐れているのはお前のためなんだよっていう。
苦労が分かってないとか、置いてかないでっていう「甘え」で出してくる場合もあります。
ここまでやってあげたんだからっていう、「恩返し・義務」で出してくる場合もあります。
これにみんなやられちゃうんです。
それで今度は自分からの内圧がかかるんです。
本気で心配してくれているのも分かるし、苦労が分からないのも事実だし、恩返しが大切なのも分かっているから、「何か悪いことしてるな」って思っちゃうんです。
みんな気がついてないんですけど、これってすごい暴力なんですよ。
そういう根拠のない罪悪感を背負わされちゃうから、みんな自分で潰れちゃんです。
根拠があるじゃないかって、根拠なんかないですよ。
だって、自分を信じてあなたのことが本当に好きだったら、あなたが自信を持つような態度を取るはずですから。
一人でも生きていけるように「お前なら大丈夫だよ」って心の底から言えるはずですから。
だから、そういう罪悪感はでっち上げに過ぎないんです。
でも、でっち上げてる親や先生や上司もしょうがないんです。
同じことをされて気がついていないだけなんですよ。
だから、あなたの代からはしなければいいんです。
そうすれば自信がつくんです。
幸せになれるんです。
今まで見たこともない世界に出会えるんですよ。
よく「私の苦労なんかあなたには分からない」って言う人がいるんですけど、人の苦労なんてその人になってみないと分からないんです。
言って分かりやすい苦労と、分かりにくい苦労があるんです。
だから、みんな公平なんです。
それで、親や先生や上司の人も、今から分かればいいだけなんです。
僕はたまたま気づいたんです。
親心が分かってないって言いますけど、それとは関係ないんです。
僕は親心は分からないんです。
でも愛や信じるっていうこととは別だってことに、何故か気づいたんです。
これに気づく前に親になると因果がめぐるんです。
もし僕が親になったら世の中の親御さんと同じようにものすごく苦労するんですけど、子供が生まれたら同じことをしないんです。
僕がすごいのでも何でもありません。
ただ気づいただけなんです。
それで、断ち切ればいいんです。
断ち切るにはちょっと勇気を出せばいいんです。
縁を切られようが天涯孤独になろうが、神様だけはあなたを絶対に見捨てません。
大丈夫。大丈夫。
by You