親愛なるあなたへ
昨日、部屋の整理で忙しかったため、ご飯を炊く時間がありませんでした。
コンビニで買って食べるお金はありません。
しばらく我慢して作業を続けていましたが、耐えられなくなりました。
何かないかと必死に探すと、飴玉を見つけました。
前の会社の人たちへのお土産の余りでした。
無我夢中で封を切りました。
口に入れた瞬間、ほわっと、何か温かいものに包まれたような感じがしました。
飴って、こんなに美味しいものだったのかと思いました。
今までの人生で、こんなに飴玉が美味しいと思ったのは、これが初めてです。
僕は、普段飴を舐めません。
レストランで精算時に「お口直し」として配られるものを、何とも思わずにそのまま口へ放り込んでいたくらいです。
飴玉の甘さに、涙が出ました。
人間がエネルギーに変換することのできる即効性の成分が、糖です。
一気に、10粒ほど舐めました。
すると、力が戻ってきたので、また、部屋の片付けを再開することができました。
あの一口の甘さを、僕は二度と忘れません。
物がなくなると、普段当たり前に使っているものに焦点を合わせることができるようになります。
お金がない、生活が苦しいというのは、実は、その座標でしか見えないものを見るチャンスなのです。
顕微鏡の世界を覗くのと一緒です。
私たちは、微生物のお陰でこの世の中をキレイに保つことができますが、普段誰がキレイにしてくれているかは、意識しません。
しかし、賢人は、当たり前と言われる世界に一歩足を踏み出します。
すると、当たり前は、実は当たり前ではないことを知ることができます。
世界観が広がるのです。
どの世界にも、その座標でしか見えないものがあります。
極貧生活は、みんな嫌がって座標を合わせたがらない世界ですから、その環境で学べるというのは、願ってもないチャンスなのです。
そして、極貧生活から抜け出してやろう、一旗上げてやろうという起爆剤にもなります。
何気ないものにありがたみを感じる瞬間があると、その人は、どんなものにでも感謝をすることができるようになります。
どんなものにでも感謝ができるようになると、反作用で自分も色々なものから感謝されるようになります。
すると、厳しい環境でなければ培えない人生の豊かさがあることに、気づくことができるのです。
by You