親愛なるあなたへ
自分を大好きになるためには、人と比べないことが大原則です。
「今、ここにいる」自分を見つめる、ということです。
「競争する」ということは、「比べる」と似ているようで、実は全く違うことです。
「比べる」というのは、誰々ちゃんはあんな恵まれているのに、長所があるのに、人気があるのに、なんで私は・・・となることです。
そこには「自分がどうなりたいのか」という意志がありません。
「競争」とは、自分はああなりたい、こうありたいという自己実現の過程で生まれるものです。
競うことの行き着く先は、「Love Yourself」なのです。
今、平等社会が求められています。
学校でも、優劣をつけない教育が推進され、「競う」という概念がどんどん削ぎ落とされています。
驚くべきは、運動会のかけっこで順位をつけない、バレンタインデーのチョコを渡してはいけない、という校則を掲げているところもあると聞きました。
これは、全くの逆効果です。
学校教育で大切なのは、優劣をつけないことではなく、優劣のつけ方です。
上手な優劣のつけ方、そして、そのフォローです。
かけっこでビリになった子が傷つくから、バレンタインデーのチョコをもらえなかった子が傷つくからと、競争自体を否定するのは、全くのナンセンスなのです。
傷ついたら、僕のようにパニック障害になるかもしれません。
うつ病にもなるかもしれません。
しかし、僕も含め、大人と呼ばれる世代が子供たちを教育していくためには、傷ついた子供がその経験をもとにして人生の深さや楽しさを知る、「気づき方」を教育していくことが大切なのです。
傷ついた子供でも、フォローさえきちんとできれば、どん底から脱し、さらに魅力的な人間に成長します。
精神疾患も、たちどころに良くなります。
経験があるので、断言できます。
平等というのは、残酷です。
平等は、イジメ・妬み・そねみを引き起こします。
生き物のDNAは、常に変化・進化を求めていますから、「競争」を圧力で押さえつけた分、人に組み込まれた自然の摂理が別の出口を探してしまうのです。
学校教育に限ったことではありません。
組織でも同様です。
うちの会社は安泰だから、シェアが一位だから、過去にこんな業績があるからと、進化を止めてしまったところには、必ず足の引っ張り合いが発生します。
そういった淀みを解消するためには、「競争」を復活させることです。
相手を蹴落としてでも自分が上にいくというのは、競争ではありません。
「競争する」とは、お互いが高め合える、ということです。
競争した結果、勝っても負けても、お互いのメリットになるのです。
それが、最終的に、組織の利益にもつながっていくのです。
これは、決してきれいごとではありません。
「そんなのきれいごとだ」と言うところには、既に淀みが発生しています。
進化が止まっています。
そして、進化が止まってしまった本人は、止まっていることにすら気づかないのです。
僕が今いる職場は、進化し続けています。
店長から、その波動を感じます。
店長は独立されているので、オーナーも兼ねた一国一城の主です。
自分の足元を良く見てみましょう。
足が止まっていませんか?
引っ張られていませんか?
周りを良く見てみましょう。
横並びではないですか?
他の人を引きずり下ろしていませんか?
セルフチェックして、自分の道を、自分で決めましょう。
僕は、進化する道を、選びました。
by You