不平等を認める精神は、平等主義から生まれる。

親愛なるあなたへ

僕は不平等な社会を肯定します。

そして、平等という言葉が嫌いです。

これまで書いてきたことと、同じです。

でも実は、不平等な社会が健全だと考える根っこには平等の精神が流れています。

一見矛盾するこの内容は、面白いです。

それは、不平等さを包括するには平等について突き詰めて考えなければならないからです。

僕が平等について突き詰めたテーマは「自信」でした。

「Love Yourself」というコンセプトをもとに記事を書き始めたのもそのためです。

本物の自信とは何か、ということです。

自信を持っている人は世の中にたくさんいます。

僕は、「それは本物なのか」という疑問をいつも持っていました。

僕にも幼いプライドがありました。

それが崩れることで絶対に崩れない自信を探し始めました。

ルックスなのか、才能なのか、お金なのか。

でも、どんなものに根拠を見出してもそれを取り払ってしまえば自信が崩れてしまうことに気づきました。

根拠がある自信が崩れてしまうものであるならば、根拠がないというところに視点を移さなければなりません。

何故そこに原点を求めたのか。

それは、全ての人が共通して持つことができる自信を探したからです。

生まれる環境は自分で選べない。

もし、ルックスや才能や財産が根っこになるのであれば生まれた瞬間に自信の有無が決定してしまう。

それはおかしいだろうと考えたのです。

生き方に自信を持ちなさいと言われても、よく分からない。

具体性がないからです。

だから精神や意識に目を向けたのです。

人として生まれてきたとき誰もが持っている、厳密に言うと誰もが持っているであろう「魂」です。

僕はもともと平等主義です。

よく博愛主義者ですよねとも言われます。

でも、平等が嫌いで、不平等な社会の健全性に価値を見出しています。

世の中で悪いと言われていることに価値を見出す人は、一度道徳を究極に突き詰めたところから再び舞い戻ってきたのです。

あなたの周りにおかしなことを言っている人がいたら、一度話を聞いてみましょう。

きっとその人の本棚には、哲学書が並んでいるはずです。

by You