日本は八百万の神々の国。だから一人一人教え方が違うのです。

親愛なるあなたへ

「論理が矛盾している」「正反対のことを言ってる」

何か伝えるとこのようなご意見をいただくときがあります。

あっちではこう言ってたのにこっちではこう言う。

あのときはこう言ってたのに今はこう言う。

いったいどっちが本当なのだ、という話になります。

物事を論理立てて伝えるのは素晴らしいこと。

筋を通した話はものすごく分かりやすい。

ところが、筋が通っても役に立たないことってあるのです。

理屈は合ってるし頭では分かるけど、何故か納得できない。

心が晴れない。

そういうときがあります。

それは、相談している本人を無視してしまっているからなのですね。

世の中には本当に色々な人がいます。

いろんな人に一つの生き方を求めることはできない。

状況が千差万別だから。

「人を見て法を説け」

お釈迦様は言いました。

お釈迦様は一人一人の相談にその人の立場で考えてくれていた。

斎藤一人さんの言葉を借りれば、この世の教えには「キリスト教系」と「仏教系」があるそうです。

キリスト教には聖書がある。

だから聖書が正しい。

聖書の生き方に沿っていれば間違いないと、こうなるのですね。

ところが仏教は違う。

仏教には教えがたくさんあります。

たくさんの宗派がある。

一人一人の生き方が違うのを認めているのです。

ちなみにお釈迦様が仏教を作ったと思われてますけど、お釈迦様は教祖ではありません。

後の世の人が宗教として体系化しただけで。

キリスト教が悪いということではないので、やってる人はそれが間違いないですからこの話は無視してくださいね。

僕は宗教やってないのですけど、日本人ですから母国的な発想になるのでしょう。

日本は八百万の神々の国です。

神様がいっぱいいる。

それくらい教えが多いのです。

一人一人違ってていい。

正反対のことも言う。

個性を出せずに苦しんでいる人がいたら「自分勝手に生きろよ」って言うし、あんまり自分のことばかり考えてる人がいたら「相手のことを考えようよ」って言うんですよね。

ときどきすごい話も聞きます。

親を許せなくて社会的に抹消したら自殺してしまったとか。

そういう話を聞くと普通は「悪魔だ」「自分の親でしょ?」って批判するんですけど、僕はそう言わないんです。

「よくその苦しみを乗り越えたね」って。

正しいかどうかじゃないんですよ。

しにくい話をしてくれたことにきちんと耳を傾ける。

だってどうしてそうなったのか僕には分かりませんから。

逆に、お客さんのクレームに対して陰で「うちを信じたお前が悪い」なんてヘラヘラ笑ってるのを見ると、いっぺん死んだ方がいいんじゃないかと本気で思ったりするんですよね。

たかがクレームの話にも関わらずですよ。

正論は役に立たない。

状況によって全部違うのです。

記事に書いてることだって半分は自分のためだから、そのとき必要な情報もあっちいったりこっちいったりする。

僕も未熟な人間ですから。

発信した情報の正当化ではありません。

最終的に目指すのは「中庸」だから、その真ん中の道に乗せるために色々な話があるのです。

相手を想ってその場その場の言葉で伝えれば人は救われる。

そういうことなんじゃないかと思うのですね。

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