神的な性教育。

親愛なるあなたへ

何だかすごい題名ですが、まあ今に始まったことではない、と開き直れるのがこの記事のいいところであります。

何かというと、日本の性についての話である。

自由を大切にする筆者にとっては「教育」という言葉が一二を争うくらい嫌いなのですが、これをつけることでとんでもないことを公言しやすくなるという、まさに国策が生んだ奇跡の申し子である。

日本人は性に対してどうも一定の基準を設けているようです。

ある程度経験を積まないと性については触れてはいけないという。

簡単に言うと小学生のセックスを認めないのである。

どうして認めないのか。

それは健全な成長を阻害するからだと言う。

要は、性交渉の氾濫によって「まともな人生」を送れなくなるという神話を、まことしやかに語るのです。

性病であるとか、妊娠に耐えられる体、あるいは子供ができた後の経済的なことや責任などを持ち出す人間もいるのですが、それならそういう教育をしっかりすればいいだけの話で。

それを「お前にはまだ早い」と言う。

そう言わなくても白い目で見る。

小学生がそういう経験があると何か性を軽々しく扱っているものとする。

どうしてこうなるのか。

はっきり言ってしまいます。

それは我々日本人が性に対して劣等感を感じているからである。

代々刷り込まれてきた。

本音ではすごく興味があり楽しいことであるはずなのに、年功序列型の枠にはめ込まれ、ある年齢までパンドラの箱に閉じ込められてしまった。

だからその楽しいことを自分より先に経験されると悔しい。

自分は我慢してきたのにそれをどうしてお前が先なのだという、不幸な人間の典型的な思考パターンなのである。

だから色々理屈をつけるけど、全ては性に対する劣等感を見せまいとするものなのです。

たとえばアメリカでは早い段階からちゃんとした性教育をします。

私は教育者でも倫理委員会の人でもないから、小学生のヤリマンや乱交パーティーが、それがいいとか悪いとかいう難しい話はよく分からないのです。

法律でも成人と未成年と性交渉は色んな難しい条件があるらしい。

法律や憲法も解釈次第でグレーな部分もあるから、国を相手どって答えを出そう、ということではないのです。

ただ、性って楽しいことだからすればいいんだよね。

正しい知識のもとで楽しいことを楽しめばいいのです。

これが絶対とかではなくて、神様はそんなことを考えているんじゃないかと、僕が勝手に思っていることですが、何かの参考になれば幸いです。

by You