相談の罠。

親愛なるあなたへ

人から相談を持ち掛けられたら親身になって応えてあげる。

これは非常に素晴らしいことだと思います。

しかし判断を仰がれたら、あくまで「最後は相手に考えさせる」ところに行きつかなくてはなりません。

その人の相談に「解答を用意する」のはその人から「考える力を奪っている」という落とし穴があることに細心の注意を払う。

特に数多の経験を乗り越えてきたカリスマ性のある「成功者」とよばれる人々は、自身の多くの経験から、相談などに「即答」する場合もありますけれども、非常に危険なのであります。

とくにそのカリスマ性から相手はその人への「依存心」が生まれる。

その人の助言なしでは生きていけないようになる。

怖いのは、人間には各々の複雑な背景があるのにも関わらず、その成功者の助言はあくまで彼ら自身の背景をもとに語られるべきものを、そのカリスマ性から当の自分にも必ず当てはまらなければおかしい、だから助言が正しいのであって自分の持つ背景や自分の考える行動は全て間違っている、助言が全てなのだという、ある種の新興宗教に似た強い力学が無意識に働くようになるのです。

心で何かがおかしいと思いつつも「常習性」で助言を求めるようになってしまう。

自分が発する一言一句は大衆にとってまるで「神の真言」のように聞こえるというその原理を、多くのカリスマ的リーダーや成功者が「愛情」という名のもとに行っていることが多いようでありますけれども、それでも完璧な人間などいない、というこの現実を考えた場合、「相談の罠」には常に気を付けなければならないと、常々そう思うわけであります。

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