続ける前に。

親愛なるあなたへ

「どうしたら物事が続くのか」という疑問に色んな方が色んなノウハウや考え方を書いてますけれども、なかなかそれを実行に結びつけるのは難しいですよね。

何故かというと答えは簡単で、費用対効果ならぬ「努力対効果が認められないから」ということになります。

努力自体の苦しみを少しでも和らげる「麻酔」に相当するのが先の「ノウハウ」です。

ですが、どんなに麻酔を打っても努力量自体は消えません(もちろん麻酔の効果もかなりわずかのことが多いです)。

なのでこんなに努力(治療)してるのに、それに意味があるのか、という疑問が頭をよぎった時点で「やーめた」になってしまうのですね。

もしくは自分と同程度、あるいは少ない量で多くの効果を出している「天才」に遭遇するととたんに「その意味」が分からなくなってしまったり。

なので、まずは努力には意味がある、というところに焦点を当てないとなかなか物事を継続するのは難しいと思います。

個人的には何かを考えたり活用したりするときにはその「本質」を見てからやるようにしています。

その「本質」というのがこれまた「不思議な話」が多いのですよ(笑)

なのでほとんどの方はこの不思議な話を信じられないでしょうし、今この現実と何ら無関係に感じますからこの考え方自体が「ノウハウ」にはなれないとは思います。

ただ、そう考えることで今まで色んなことを続けられた人間がここに一人いますので、あながち嘘でもないというのが今回のお話です。

努力には無駄がない、というのは、実は、「今の努力は来世に引き継がれ」ます。

人間の努力は死んだらゼロにならずに、その影響が来世に引き継がれる。

なので、10年以上に渡りそれなりの量の記事を書く私のこの才能(?)は「前世の名残」であることはこれは確実です。

今まで受験勉強で努力したけど失敗したり、スポーツも努力したけど上手くいかなかったり、そういう個人的な過去の事例を考えると、どう考えてもこの文章量は現在の自分の努力だけでは不可能です。

いつかも書きました「小学生や中学生のときの卒業論文」などはひどいもので、もともとそういうものを持っていなかった人間が、いきなり文章を大量に書けるようになる。

これは理論的におかしい話です。

「才能」というのは面白いもので、ほとんどの方は「幼少期から発揮されるもの」と思われているかもしれませんが、実はそれとは別に、もともとあったんだけど「外部からの何某かの刺激によって開かれるもの」もあるのですね。

それまでの前世でずっとずっと何世代も「書く練習をしている」。

私はこのブログでアフィリエイト収益を得ているわけでもなければ、何か集客予定のつもりもないのですね。

唯一の効果というのは「自分の考え方がまとまる」「話すのが上手になる」「人生の記録として見返せる」という目に見えない部分が大きく、直接経済に関わるような部分はゼロです。

そういうときに、たとえば自分よりも少ない経験値で膨大な金額を稼いでいる方を見ると「やる意味を見失う」ことにもなりかねないわけですね。

ちなみに収益に結び付ける方向性に行かないのは、力量をそちらに回すよりも本業の予備校講師や資料作成の方に今は力を注ぎたいからです。(将来、もしかしたら途中で変わるかもしれませんが)

お金になるわけでもない、誰に褒められるわけでもないのにただ淡々と書く原動力の一つは先の「来世に引き継がれることを知っている」からに他なりません。

もちろんその努力が「楽しく」なければやめても一向に構わないと思います。

小生の場合は自己主張できなかった青春時代、今その鬱憤が一気に爆発し(笑)自分の考えを言えることが「楽しい」のもその一つです。

ただ途中でやめてもそれは来世にまた必ず引き継がれる。

なのでこの不思議な「来世に引き継がれる」ということを知っておくと、人間は努力が嫌じゃなくなる。

努力しているときの「これが実らなかったらどうしよう」という不安と、途中でやめたときの「全てが無駄になってしまう」という不安がなくなります。

この不安が消えたからといって必ずしも物事が続くとは限りませんけれども、この二つの不安を消すことが努力という行為自体を嫌いにならない本質だと、そのように思うのですね。

by You