教えるとはできない人の気持ちが分かること。

親愛なるあなたへ

人にものを教えるって素晴らしいことですね。

ほとんどの場合、教えるというのは上から下に教えるといいます。

みんな教える人を先生って呼ぶけれど、教える人は別に偉くないんです。

教えるって、ただ知ってることを相手に伝えるだけのこと。

自分の知識を誇示するために教えるのと、相手のために一生懸命教えるのは全然違います。

相手のために教えるっていうのは、相手の気持ちが分かるということなんです。

気持ちが分かるから教えたくなる。

大変な思いや辛い気持ちが分かるから教えたくなるんです。

だから、本当にすごい人って、わざわざ自分で修羅の道を歩みにいくんですよ。

自分はできるから本当はイバラを踏むことないんです。

でも、それだと相手の気持ちが分からないから自らその世界に飛び込んで一緒に学ぶ。

気持ちが分かれば、解決策を示すことができるんです。

たとえば、お釈迦様ってもとは立派な貴族のご子息なんだそうですね。

何不自由することないのに、その地位を捨てて自ら荒行を繰り返した。

滝に打たれたり断食したり、死ぬ寸前まで自分を追いつめたんです。

お釈迦様はこの世から苦を取り除きたいと思っていました。

その大志のために修羅の道を選んだんですね。

本当にすごい人は、そうやって相手の気持ちを分かろう分かろうとするんです。

僕は立派な人間じゃないから修羅の道なんか選ばないけど(笑)、それでも相手の立場に立つと気持ちが分かるようになるから、なるほどなぁと思うんです。

ずっといい人できたからいい人の気持ちは分かる。

そのときに暴れてる人を見ると「何で暴れるんだ」と思ってしまう。

それが、今度自分が暴れる立場になると暴れる人の気持ちが分かるんですね。

人間の時間は有限だから全ての人の気持ちを分かるのは不可能だけど、そうやって経験を積んで相手の立場が分かるようになると、ものを教えられるようになるんです。

色んな世界を見るって、自分のためにもなるし相手のためにもなるからすごくいいと、僕自身は思っています。

別にやらなくてもいいですよ(笑)

ただフラフラ生きてるとそういうことが分かって面白いなぁって。

仕事でもなんでもそうだけど、人にものを教えるときは一度相手の立場に立つといいかもしれないですね。

授業中に話を聞かない生徒を怒鳴りつける先生がいるんですけど、自分の授業を何故聞かないのかを反省した方がいいよね。

学校の先生だけではないけれど、今の世の中、教える側に立つ人間にはそういう視点が大切なんじゃないかなぁ。

僕はそう思っています。

by You