不要な運命は背負いこまない。

親愛なるあなたへ

一人一人が可能性を秘めているという。

人間には無限の可能性があり何でもできるという。

それはそうなのですけど、もう一つ運命というのがある。

人には自由意思と運命があります。

自由意思が可能性で、運命が魂の成長とも言える。

意思の力で何でも実現できるのだけど、成長する計画を立ててきているのだから運命から逃れることはできないのです。

そしてこの運命、我々一人一人だけではなく、会社の運命というのもある。

さらに町の運命、国の運命、そして世界の運命というのがある。

これは大きなうねりの中に小さなさざ波があって、さらにもっと大きな海流の中にうねりがあるようなもので、中に取り込まれているのである。

たとえばほとんどの人は会社で仕事をしているから、自分の運命は会社という大きな運命の中にある。

さらにその会社は大阪だとか北海道だとか、その地域の運命の中にある。

そして総じて日本人は日本という国の運命の中にある。

だから一人一人の運命というのは、大洋の中に小さな小舟を浮かべているようなものなのです。

いくら自分が立派なエンジンをつけてても、大きな潮の流れには勝てない。

その潮流の中で頑張ってみてもどうにもならないこともある。

だからそういうときは別の流れに乗ってみればいい、というのが私の持論なのです。

よく、自分のいる場所を感謝しなさいとか、置かれた場所で頑張りなさいとか色んなことを人は言うけど、その潮流が自分の望まないものであればサッサと逃げればいいのである。

これを、真面目な日本人は逃げちゃいけないと思っているから苦しくなる。

簡単な話、会社が嫌なら辞めればいいのである。

隣の人が嫌なら引っ越せばいいのである。

地域が合わないならアマゾンでもシベリアでもどこでも飛べばいいのである。

それを、精神論者は「必ず同じ問題が起きるよ」と脅すのです。

確かに逃げられないものはあるし、同じ問題が起きることもある。

何故かというとそれは魂の成長のためだから。

でも、それはそうなったときに分かればいいのです。

逃げられないときに「そうかこの問題は逃げられないんだな」と分かって向かい合えばいい。

人間は納得すれば頑張れるから、そのときまで逃げてればいいのです。

意味もない不要な運命を背負い込むことはない。

自由意思で何ともならない運命からは逃げればいいのです。

これは現代日本人である私たちに是非知っておいてほしいお話です。

by You