親愛なるあなたへ
「『運命』とは決まった一本道ではなく、無限に枝分かれした設計図だ」
これが私が記事を書き出したときから言っている「運命の定義」です。
だから運命は決まっているのですけれど、その全貌を私たちがつかむことはできません。
その都度選んだ道が常に自分の運命である。
だからどの道を選んでもいい。
成功する道、幸せになる道、片や不幸になる道。
この場合はこうで、もしあれを選んだらこうで、次の瞬間それを選んだらこうで、という無限の枝分かれを考えてきています。
だから当然いつでも方向転換できる。
今まで不幸の道をひたすら歩んできても、そこからの選択を幸せの方へ向きを変えれば、当然自分は「そのときの場合分け」も生まれる前に考えてきているわけです。
だからどんな道を歩んでもそれが自分の運命である。
こんなこと言われてもいまいちピンとこないと思います。
このピンとこない運命図を、どうやって私たちは生まれる前に書いてきたのでしょう。
きっと、こんな感じだと思います。
あなたがものすごい美味しい料理を食べたとします。
例えば最高級のフィレステーキ。
この時の感動を、フィレステーキを食べたことがない、そもそも「肉」というものを食べたことがない人にどうしても伝えたいと、あなたは思った。
「すごく柔らかくてね、噛むたびにうま味がつまった肉汁があふれてきてね、それで・・・」
おそらくどんなに言葉にしても相手は分からないでしょう。
あなたは何とか伝えたくて、無限の言葉の組み合わせを考える。
あなたは知っているわけですね、その美味しさを。
感覚で知っている。
運命図を書くとは、きっとこんな感じだと思うのです。
人は生まれる前に無限の選択肢を、他の人と違った無限の選択肢を決めてきています。
あなたの魂はそれを感覚として知っている。
だから、安心して今からでも好きな道を選べばいい、ということなのですね。
by You