親愛なるあなたへ
「感謝する」という言葉を私もよく書いていますが、欲望の肯定論者である私が一貫して思ってきたのは「感謝とは手段」なんじゃないかと思うんです。
幸せになる手段である、と。
「道徳的」に生きている人は感謝を「ゴール」だと考える。
すると、感謝しているのにさらに高みを目指す人やお金儲けに精を出す人を「強欲だ」と思ってしまうのですね。
成功者が感謝しているのを「表面上だけだ」と言う。
ところが、一般のこの考え方とは真逆で、実は感謝をゴールとして考えている方がもしかしたら注意が必要なのかもしれない、と。
どういうことかというと、もしも「本当に」感謝しているとすればその人は幸せなはずだから、他人の幸せを願うのが自然なことではないでしょうか。
有名になりたい、お金持ちになりたい、というのが相手の幸せなのだとすればそれを応援することはあっても邪魔をすることはない。
心理的な負荷をかけることはない。
なのに実際はそういう事態が起こりうる。
感謝していて自分の生に満足しているはずの人が、他人の足を引っ張ろうとする、という矛盾が起きてくるわけです。
何故こういう心理が「感謝をゴールと考えている人」に起こるのか。
それは、「感謝している自分が偉い」と思うからだと思うんですね。
感謝している自分に価値があると。
幸せを目指すのではなくて、自らの心をそういうもので満たそうとするからです。
すると、人生の成功に向かって、つまり自分らしい幸せというものに向かって邁進している人を止めたくなってしまう。
なぜなら自分は幸せになるために感謝しているわけではないから。
それが悪いとは思いませんし実際そういう道を通るのも事実だとは思いますけれども、結局それも「手段」であるわけですね。
感謝とは手段です。
そうすれば、こういう不思議な矛盾がなくなってきっと心も軽くなると思います。
by You