因果か改革か。

親愛なるあなたへ

何か嫌なことが起きたとき、「それは自分に原因がある」「今世思い当たらなければ前世の因果である」ということが言われます。

これは本当にその通りだと思っていてそれについて触れた記事も過去に何度かあります。

しかしながら、その嫌なことを甘んじて受けるだけではなく、「改革」としての面も持っていることを忘れてはいけません。

「不思議な話」が好きな場合は往々にして「これは因果だから」とどんどん不幸になってしまう場合もありますけれども・・・。

因果はあくまで味わう(そのときの気持ちが分かる)のが目的であって、味わい続けるのが目的ではない、と。

だからそういう嫌な状況になったとき、たとえば嫌な人と会うとか嫌な仕事、嫌な役回りに当たったら、それを「断る」という手があることを必ず思い出す。

断る、断ち切る、逃げる、関わらない。

本当に嫌な状況が起きたとき、そこから逃げることを神様は悪いとも何とも思っていません。

耐えろ耐えろとおっしゃっているのではなく、「断ち切る」決断ができるかを試されている場合がほとんどです。

実生活とのさじ加減はもちろん非常に難しいのが現実ではありますけれども、ただ、それを鑑みてもこれは自分らしい、幸せな人生を送るための「因果を越えた自己の改革」であろうと思うのです。

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