劣等感の伝染。

親愛なるあなたへ

私は人生の本質はなんであろうと学生時代から常々考えてきて、このブログを書き始めたとき「自分自身を愛せるようになることだ」という結論を得ました。

第1回目の記事が「Love Yourself」で、人間には誰にでも少なからず劣等感があり、それに気づき、他人にそれを伝染させない、というのが魂の目的であると。

自分で自分のことを好きになっていいのは当たり前。

権利というか、義務でさえある。

そこに「自分のこと好きでしょ?」「自信満々だね」という人が現れたら、その人はおそらく本当の意味で自分が好きではないか、もしくは先に述べたこの世のシステムを理解していないから、自らの劣等感を伝染させている。

「好きになるな」「自信を持つな」という反対のメッセージなのですね。

頭ごなしに「生意気な」とか、不自然なイントネーションで「楽しそうだね」などもありますね。

それだけではなくて「行動」や「微妙な表情をしたり」という非言語的メッセージに強く表われるケースもある。

特に非言語的メッセージを見抜くのは難しい。

近しい関係だったり、一度心を許してしまうとより影響力が強いように思います。

記事を書き始めた数年後に斎藤一人さんの本に出会い、一人さんのお話の最高傑作と言われる「地球が天国になる話」で全く同じことが語られており確信を得るに至ります。

劣等感は何か出来事から生じると思うかもしれませんが、一人さんも語られていますが、ほとんどのケースは「親」で、その親はまたその親に劣等感を伝染され、という「因果」を繰り返している。(「親」は「幼少期に自分に絶大な影響を与える人物」という意味)

人間は「出来事」に対してではなく「最も信頼している相手の反応」によって自信や劣等感が形成される。

究極の話、結婚したり子供を作ったりするのはそういった劣等感の因果を解消するためなのです。

夫婦はお互いにそういうことをしないか、親は子供にそういうことをしないか、そして、子供は親にそういうことをされても自分は次の世代にしないか。

この巧妙に隠された人間心理の裏側は、実は「自分には劣等感があるんだ」という非常に単純な原理になっている。

とにかくも劣等感を伝染させる人とは関係性によらず離れることです。

広い世間、難しい事情が多々あるのは百も承知の上ですが、「劣等感は伝染するものなんだ」ということを知るだけでも開眼の一歩になるはずです。

by You