「損した」と感じることは、実は、授業料です。

親愛なるあなたへ

生活している中で、「損した!」と感じることがあると思います。

あっちのスーパーに行ったらもっと安く売ってた、とか、こっちで売った方が儲かった、などいくらでも思いつきます。

世の中は、知らないと損をすると言われているお金のカラクリであふれています。

僕は、雇用保険制度について衝撃を受けました。

再就職したので、次の会社で引き続き保険年数を継続して、後でまとめてもらおうと考えていました。

しかし、自己都合退職の場合、被保険期間が10年未満の場合は、支給率が一律90日分と統一されていることを知りました。

ですから、前の会社を辞めた時点で給付を受けておいて、さらに次の会社で1年(受給条件:被保険者で11日以上働いた月が12ヶ月以上あること。)働けば、トータルで2倍の金額を受け取ることができるのです。

組織に長くいるつもりがなければ、会社を辞めた時点で受給するほうが、実は得なのです。

今回、僕が逃した額は千円単位ではありません。

一万円単位でもありません。

数十万単位です。

大富豪であれば痛くも痒くもない金額ですが、ご飯とふりかけで生活している僕にとっては、激痛です。

「しまった!」と思いました。

でも、それは一瞬です。

「いい機会だ、雇用保険について勉強しよう!」

この感覚です。

損をしているというのは、実は、授業料を払っているのと同じことなのです。

大学生で、自分で学費を払っている人と、親に学費を出してもらっている人の勉強に対する姿勢は、天と地ほどの差があります。

自ら大きな金額を払うので、「自分に投資をしている」という感覚がケタはずれに強いのです。

僕も、大学・大学院ともに親にお金を出して頂いていたので、自己投資に対する意識が低かった。

社会に出て自分の力で生きていかなければならなくなることで、ようやく気づくことができたのです。

自己投資は、何も莫大な金額を払うものに限りません。

本を買うのも、一つです。

オシャレな洋服を買うのも、一つです。

美味しいランチを食べるのも、一つです。

極貧生活を生き抜くために、できるだけ安い良い品を選ぶのも、例外なく、その中の一つです。

お金は、モノを買うために存在するのではありません。

お金は、経験を買うためのものです。

お金は、生まれてから死ぬまでの「活動経費」なのです。

死ぬときに貯金をゼロにすることが、「私は、生き切った!」という証なのです。

「損した!」と感じることは悪いことではありません。

人は、自己投資のためにお金を求めるものです。

しかし、「損した!」ということ自体も、実は自己投資であることに気づくと、人生のおトク感が2倍にも3倍にも増えるのです。

by You