物分りの悪さは、後世に未来の選択肢を示すのだ。

親愛なるあなたへ

僕は、頑固で物分りが悪い大人を目指しています。

年上・年下関係なく色々な人から学びながら、頑固で物分りが悪い大人になるのです。

昔は、それこそテコでも動かない頑固親父がたくさんいました。

それが日本の発展を促してきたのです。

今の日本では「柔軟になりなさい」という大義名分のもと、頑固親父が影をひそめています。

僕が、大人は頑固で物分りが悪くなることを美徳としているのは、選択肢を示すためです。

人は、常に迷いながら生きています。

迷いながらも、「あ、こういう生き方って素敵だな」というモデルを見つけることで、歩き続けることができるのです。

大人の物分りの悪さは、子供たちに「こんな生き方があるよ」という一つの選択肢を示すためのものです。

「こんな生き方をしろ」と押し付けることではありません。

「こんな生き方をしろ」という大人ほど、迷いがあるのです。

迷っているモデルが目の前にあったら、子供たちが混乱するのは当たり前です。

世界中に何億といる大人が、それぞれ「こんな生き方があるよ」と示すことで、子供たちはその中から好きな生き方を選んで、自分なりのカラーに仕上げていくのです。

その連鎖が、生き方の多様性を生み出します。

これが、進化です。

頑固さ・物分りの悪さは、進化の促進剤なのです。

子供たちの未来のために、頑固で物分りの悪い大人に、なろう。

by You